第5回 フェニックスグループ会長・荻野正明氏 「ブルー・オーシャンであれ」 Print E-mail

第5回講演会 2009年11月24日(火)

「ブルー・オーシャンであれ」

講師 荻野正明さん・フェニックスグループ会長  

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■荻野正明氏 略歴
1941年  大阪生まれ
1966年8月、大阪の商社マンとして香港支社に駐在
1970年  社名をFENIX(フェニックス)に変更、新会社として営業開始
1986年  PRADA(プラダ)のアジア市場販売権獲得
1992年  妻の荻野いづみ氏をディレクターとし、ANTEPRIMA(アンテプリマ)設立
1996年  CITYSUPER(シティースーパー)設立
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◇夫婦(男女)円満の秘訣とは

男性と女性は基本的に全く違う動物、生き物といってもいいかもしれない。「男女平等」とはどう考えても僕には納得がいかない。男性に子供を産むことはできないし、女性に50キロの荷物を運んでみろと言っても、できないわけです。それぞれ持って生まれた責務をどこまで担って実行しているのかというのがポイントだと思う。

女性になくて男性にあるものが結構いくつかあるんですが、男には「しっぽ」があるんです。では、何が「しっぽ」か。経験を通して知ってもらうしかないんだけど、「プライド」です。時と場合によって同じことを言っても平気だけど、誰かがいる前で「この間こんなミスしたでしょう」というのは言われたくないわけです。人前では男を立ててやる。そうすると、不必要な喧嘩はなくなると思いますね。

女性についてはどんなことが言えるか。以前、イタリアに住んでいて遊びに行った家のプールサイドで休んでいたとき、小さな男の子が走ってきて母親に飛びついて「僕、ママのこと愛しているよ」と言った。すると母親も「私も愛しているわよ」と答えた。こういう風景は自分が子供の頃にはなかった。友人の間でもなかった。

日本の男は照れ屋なので奥さんに「愛している」と言わないが、母親が自分の子供に「愛している」と言わなかった(言わせなかった)から、子供(男)も(他の誰かに)「愛している」と言わなくなったのだと思う。もし自分の子供に「愛しているよ」と声をかけていれば、その子も言えるようになると思います。

僕もなかなかできないのですが、▽女性は男性の「しっぽ」を踏まない▽男性は妻(彼女)に「愛しているよ」「最高だよ」と言い続けること、これが家庭やボーイフレンドとの関係をうまくやっていく方法だと思います。

◇香港と日本の違いとは

香港に住んでいる人たちは皆、非常に高いレベルの「自己責任」の感覚を持ち、全てここからスタートしている。1970年代初めに財務長官だったチャールズ・フィリップ・ハッドンケーヴ卿が為替管理などの大改革を行い、有名な経済政策「レッセフェール」(自由放任主義=市場で起こったことはすべて市場が決める)を推し進めたことが背景となっている。

日本と香港の違いは、まず、関税がかかっていないこと。湯のみであろうが、お箸であろうが、携帯であろうが、輸入商品であろうが、全部関税がかかっていないんです。ということは、日本よりモノを安く買っているんですね。皆さんにはこれを感じていただきたいと思うんだな。

税金が少ない。現状で香港の法人税は最高17.5%、個人所得税は15%と安い。日本では自分にほとんど残らないが、香港では持っていかれず利益を繰り越していけるので、企業(個人)の体質が強くなります。

だから香港の人は、若いときから中年になるまで、本当にしゃかりきになって働きます。要するに志を持った人はね。一生懸命働けば、親子三代まで安楽に暮らしていけるお金が稼げる。そのために初代の人は必死になって働くのです。

もっと大きいのは、キャピタルゲインがないということです。株を買ったとしても配当に税金がかかるなど、日本だと税金だらけです。でも香港ではすべて課税されません。「キャピタル(資本)」を投入して生まれた「ゲイン(利益)」は非課税、ということですね。

それでは、香港ではどうやって国の財政を賄っているのか。


◇日本政府と香港政府の違いとは

日本やフランス、イタリア、ドイツなどは「大きな政府」です。「大きな政府」は子供手当てや保険など国民に手厚い保護・援助を行います。一方、香港は「小さな政府」で成功した唯一の地域です。政府は市場介入しない代わりに、何の援助もしません。2000年にMPF(公的退職積立金)制度が導入されましたが、基本的に保険もない、退職金もない。生活保護もない。非常に生活しにくいといえるでしょう。

それでも「97年問題」が起きた時にはオーストラリアやカナダ、アメリカなどに出て行った人が、97年以降にはどんどん戻ってきた。生活しにくい、保護されていない所に、なぜ帰ってくるのか。

ここの方がいいからです。というのは、ここの人たちは長い時間をかけて「自己責任というセンス」を身に付けたからです。会社で解雇されたことを父親に告げて「辞めたのは何人だ」と聞かる。「自分ひとりだ」と答えると「じゃあ、お前が悪い」と言われる。不況でも、能力のないものから首を切られる。首を切られたくないなら努力せよということです。

だから、仕事ができなくて首になる人の保護をなぜ政府がしなければならないのか、という感覚です。自分が悪いということです。ただ、世の中にはどうしてもそうはいかない人がいる。そういう不利な状況に陥っているなど人には政府も援助しています。

香港の人は自己責任ということを分かっていた。これが香港が「小さな政府」で成功した理由です。だから、税金も安い、関税もかかっていないのです。日本でもいろいろ改革をやりましたが、上手くいかないのは国民の自己責任(の意識)が低いからです。アメリカも同じです。ノルウェーやフィンランドは「大きな政府」でも運営をうまくやっているといえますが、「小さな政府」は「自己責任のセンス」がなければ絶対上手くいかないのです。


◇ブルーオーシャンであれ~一人勝ちの法則

アンテプリマ設立について
1986年から99年まで、僕はプラダっていうブランドを香港でやっていた。極東担当でシンガポールや韓国、カナダなどの事業を手掛けた。僕の本業はニット屋さんですが、プラダにやれて、俺たちにできないことはないだろうといって、「アンテプリマ」を始めた。

当初はプラダが靴とバッグは俺たちが作ってやろうと結構協力してくれ、われわれはニットを中心にやっていた。ただ、1995、6年にプラダが「商品が売れて、自分たちの商品を作るのに手一杯だ、何とか一人でやってくれないか」といわれて、そこからわれわれはすべて自分たちでやるようになりました。

シティースーパー設立について
「シティースーパー」は97年12月に、第1号店をタイムズスクエアにオープンしたんですけど、これは香港にそれまでなかった中~上の社会をターゲットにしたお店です。当時の社長の掛け声、「世界中から良いものを集めて来い」で作られた。

僕らはそういう商売を知らないけど、プラダをやってたまたまお金を持っていた。彼、社長をやった人間は、アイデアはあるけど金はない。ということで(僕らがお金を)出そうということになった。

そういうことで(これらの事業を)やったわけですけども、僕のビジネス人生には一貫して基本がありまして、それは何かというと、「Be innovative(革新的であれ)」です。他人のやっていないことをやるということです。

皆さんは「Blue Ocean」という言葉を知っていますか。「Blue Ocean」とは大海原を自分の船だけで進んでいくこと。自分の船だけなら、他の船とぶつかったり、行き違ったりすることはほとんどないでしょう。つまり競争相手がないということなんです。その反対は「Red Ocean」。競争があり、すぐに儲からなくなることです。「Blue Ocean」の状態を上手く作れば、ビジネスは成功します。シティースーパーもほとんどそうですが、プリマのワイヤーバッグは見事に「Blue Ocean」です。

結局は「Innovation(革新)」を続けながら、「Blue Ocean」を続けていくしかない。自分が独立してやりたいなら、他人がチャレンジしたことのないような自分の切り口を見つけてそれに向かって邁進するしかないと思うんですね。


◇見えない努力が成功を生む

世の中にハウツー本っていっぱいありますね。よくこれだけでてくるなあ、というくらい。この本のおかげで僕は大成功してという人を聞いたことがないけど、買うんだね。何で買うんだろう、一縷(いちる)の望み? 僕から言わせれば結構多くのものは役に立ちます。じゃあ、何が問題なのか。

こういう風に考えてください。例えば手品は「まさか」の連続。手で品を作るといってね。その種は非常に単純なものですが、実際やってみるとなると難しい。これをやるぞと決めたら、毎日そればかりの連続するくらいの根性がなかったらやれないわけですよ。

これはビジネスのハウツー本を読んだときの感覚と同じです。もちろん「なるほどなあ」もありますが、随分多くのことは当たり前のことなんです。それをやるか、やらないかなんです。手品の種を知ったらといって、それは手品ができるということにはならないわけです。

タイガー・ウッズや石川亮があれだけのゴルファーになって世間を沸かしている、彼らの練習量とはどれくらいのものか、一度想像力を働かせてください。ジャンボ尾崎も練習が彼を支えていたといいます。

結局、成功や不成功は、やった(努力した)分と正比例するんです。手品の種と同じで、ものすごく簡単な原理なんです。原理を知ったら、それを実践に落とし込めるのかというだけの話なのです。

アレキサンダー大王に、ユークリッドという幾何学者が「大王、数学に王道はありません」と言ったように、成功にも王道はありません。(苦手・不得意分野を)1つ1つ潰していく努力をせざるを得ない。成功の秘訣とは単純なことと考えたほうがいいでしょう。それが僕が今まで68年間生きてきた結論です。


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Q&A

―私たちから荻野さんを見ると、とても成功しているようにみえるのですが、ご自身はどうお考えですか。

何を持って成功というのか。総資産でもって計るのか、達成感で計るのか。どちらのものさしで計っても「未(いま)だし」という意識が強いです。会社をある一定の規模にしたという意味ではシティースーパーは会社一つを完璧に切り離してやっていて結構いい成績を出しているから成功といえるかもしれないが、達成感ということになると、もうちょっとこうしたいという気持ちがいっぱい出てくるから、まだまだだなあ、と。どこまで行ってもきりがないので、近いうちに引退しようと思っています。「ネバー・エンディング・ストーリー」ですから。

―シティースーパー立ち上げの説明で、アイデアはあるけどお金がない人に出資したとおっしゃっていましたが、援助を決めた理由は何だったのでしょうか。

1997年に西武百貨店が香港ディクソン・コンセプツへの売却を決め、ディクソンが日本人スタッフを残さない方針を示した際に、当時、西武百貨店の地下でシティースーパーのようなコーナーをやっていた6人が、会社を辞めた。そして、(同種の事業を)やるんだったら最高のものを作ろうと、練りに練って作った会社です。西武百貨店の店長をよく知っていたので、僕と僕のパートナーは、わずか3日で(出店先となる)タイムズ・スクウェアへの投資を決めた。プラダで働いていた時のお金はあぶく銭のようなものだったが、あぶく銭で終わるよりは形のあるもの投資したほうがいい、失敗したとしてもまたやればいいという気持ちだった。

―失敗や挫折をどのように克服されてきたのか教えてください。

ほとんど毎週失敗しているというか、それくらい失敗は多いですよ。完璧な仕事なんてできるわけがないんだし、上手くいくときはいく、いかないときはいかない。世の中はなるようにしかならない。自分は打たれ強いし、逆境に強いと思います。なぜかというとあんまりくよくよしない。なるようにしかならないと思っていると、意外と救いの手を差し伸べてくれる人がいるもんなんです。香港に来るときに先輩に「しっかりやってこい。誰も命までは取らん」という言葉が座右の銘になっています。そういう意味で、ストレスを上手く避けてきたのだと思います。その一方で、ゴルフのスコアが上がらないと眠れないこともあります(笑)。

―奥様の荻野いずみさんのアンテプリマ事業に、荻野さんはどの程度関わっていらっしゃるのでしょうか。

彼女(奥様)はクリエイティブ・ディレクターで、いろんなことは彼女主導で動いているんですが、残念ながら一般的な女性と同じで数字に弱く、資金繰りなんて全然分からない。だから経営やマーケティングを大半を僕が見ているという感じです。

― 奥様との関係性をどう捉えていらっしゃいますか。

僕ら夫婦は会議で凄まじい喧嘩をすることで有名だったんです。だから周囲からはあの2人は危ないとずっと言われてきた。でもどんなに激しいやりとりをしても、それが終われば、手をつないで一緒に帰っていた。ほかの人はそれを見ていないなから、危ないと随分言われていた。わたしたちは2週間くらい2人で海外旅行に言っても全く喧嘩しません。
彼女に言っているのは、「とにかく俺のしっぽを踏まないでくれ、そしたら僕は君にとって最高の亭主になる可能性もある」と言っている。それでもやっぱり踏むのですが(笑)。

(2009年11月24日(火)午後7時~午後9時半開催。鮨雄(Sushi U)にて。参加人数19人)




<編集後記>
荻野さんはシンプルかつ洗練されたファッションに鷹揚な態度を備えた大変素敵な方でした。お話はどれも興味深いものでしたが、特に香港人の自己責任意識についての部分は、この混沌とした時代に生きていく上での智恵であり、大きなヒントだと感じました。(S)